プリムの祭り

「悲しみを喜びに」     メッセージ 宮本 純子

聖書箇所:エステル記4:13~17(新改訳)

 ユダヤ人たちは毎年、エステル記のプリムの祭りを今でもお祝いしています❤ 

 今年のプリムの祭りは3月1日です。  エステル記9章17節~22節に書かれてある通り、春の始まる頃のアダル月の14日にお祝いします。  プリムは、子供も大人も仮装をする楽しいお祭りです。これは、エステルがユダヤ人であることを隠していたことにちなんでいます。ユダヤ教の会堂シナゴーグでは「メギラー」といってエステル記が朗読されます。その時に「エステル」と「モルデカイ」の名前が呼ばれると歓声をあげ、逆に宿敵である「ハマン」の名前が出てくる度にガラガラと音の鳴るオモチャを鳴らしたり、足を踏み鳴らして音を出します。また、プリムでは「オズネイ・ハマン(ハマンの耳)」という三角形のお菓子を食べます。これはハマンが三角形の帽子をかぶっていたことにちなんでいます。そして、エステル記9:22にあるように、この日は町中の貧しい人々に贈り物をします。

☆偶然を通して  

さてエステルの物語りは、イエス様を信じる私たちにとって、どのような意味を持っているでしょうか。実は、エステル記には、聖書の他の書にはないものがあります。聖書の他の書には必ず出て来るお方がいます。もちろんそのお方は神様です。しかし、エステル記には神様の名前は全く出てきません。一度も出てきません。  しかし、この物語の中に神様はおられます。神様の存在は、一連の「偶然の一致」を通してはっきりとわかるのです。偶然とみえる一連の出来事は、すべて神様の働きです。  ユダヤ人を絶滅させるために、ハマンはある日を選びました。どのように選んだかと言いますと、エステル記3章7節「アハシュエロス王の第十二年の第一の月、すなわちニサンの月に、日と月とを決めるために、ハマンの前で、プル、すなわちくじが投げられ、くじは第十二の月、すなわちアダルの月に当たった。」  「プル」つまり「くじ」を引いて決めたのです。プルの複数形が「プリム」なので、それが祭りの名前となりました。つまり「プリム」の意味は「くじ」です。  エステル記9:23~28。皆さんは、くじは偶然で決まるとお考えですか? ハマンは、ユダヤ人を滅ぼすのに、くじを投げて日を選びました。ところが、その日がユダヤ人の祭りの日となったのです。 悲しみが喜びに変わったのです。皆さんは、人生は何で決まると思われますか?運や偶然、境遇や人間の意志で決まるのでしょうか?たいていの人はそう思っていますし、ハマンもそうでした。しかし、聖書の立場はそうではありません。聖書は、人生は「運」によって編成されるものであるとは教えていません。  たとえ、表面上は人生の出来事は行き当たりばったりのように見えても、アブラハム、イサク、ヤコブの神であり、全知全能の父なる神によって、全てが支配されていると聖書は教えています。  

箴言16:33「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。」  

たとえ私たちそれぞれに何が起こったとしても、それは主が決められたことなのです。  行き当たりばったりか偶然のように見受けられる出来事は、神様のご計画と配慮によって実際に管理し、決定されたものなのです。神様は、全てを管理しておられます。ところが、私たちから見ると、それらの事柄は、幸運か偶然の一致のように思えるのです。しかし、偶然に起きることは何もありません。単なる幸運とか、災難によって物事が決まることはないのです。 全ての物事は、神様の意志や計画、目的によって起こるのです。

☆モルデカイの悔い改め  

 エステル記4:1~3「モルデカイは、なされたすべてのことを知った。すると、モルデカイは着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真中に出て行き、王の門の前まで来た。だれも荒布をまとったままでは、王の門にはいることができなかったからである。王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人のうちに大きな悲しみと、断食と、泣き声と、嘆きとが起こり、多くの者は荒布を着て灰の上にすわった。」  ユダヤ人を皆殺しにする勅令が発せられたことを知った時、モルデカイはすぐに荒布をまとって灰をかぶり、町に出かけて行きました。モルデカイは、神様から悔い改めを求められているのが分かったからです。  ここで質問です。なぜ、ユダヤ人が悔い改めや悲しみの時に灰をかぶるか知っていますか?それは、アダムつまり私たちは地のちりから造られたので、ちりに帰るのだそうです。今でも、ユダヤ人たちは強く悔い改める時に灰をかぶって祈ります。  モルデカイは、すぐに悔い改めて他のユダヤ人たちにも悔い改めるように求めました。

 それは、この当時のイスラエルは北王国と南王国に別れていましたが、南王国のユダヤ人が神に背いて、他の神を礼拝したので、その結果、バビロン捕囚でバビロンに送られたからです。

 モルデカイがその南王国の民の一人であったことは、エステル2:5~6から分かります。モルデカイがベニヤミン族のキシュの家で南王国のイスラエルの民がその地から追い出されることは、罪に対する神からの処罰です。ユダヤ人たちが神様の律法を守れなかった時や、その契約を破った時は、約束の地から追い出されると聖書に書かれてあります。

 モルデカイとエステルは、ハマンの出させた勅令が、歴史の偶然ではなく、ユダヤ人の内部の問題の結果だと知っていたのです。これと同じように、私たちが罪を犯す時、私たちは悔い改めなければなりません。主であり救い主であるイエス様に罪を告白し、神様との交わりに立ち返るためです。罪は私たち自身から出ることを知らなければなりません。そして、罪の告白は神様との交わりを元に戻してくれるのです。

☆エステルの物語  

 さて、エステルは、実に数奇な運命によって、イスラエルの民が危険にさらされたちょうどその時、王にとりなしを頼むことができる地位の場に居合わせました。彼女が邪悪な陰謀を止められる場に居合わせたのは、ただの偶然によるものだったのでしょうか。もちろんそうではありません。1章に出てくる、王妃ワシュティが宦官から伝えられたアハシュエロス王の命令を拒んで来ようとしなかったので、王は非常に怒りました。このことも偶然ではありません。ワシュティは、アハシュエロス王の前に出てはならないという勅令が出て、王のお心にかなうおとめをワシュティの代わりに王妃とすることになったことも、そして、モルデカイがおじの娘のエステルを引き取って自分の娘にしたことも、偶然ではないのです。そして、エステルもシュシャンの城に集められて、アハシュエロス王の好意と恵みを受け、アハシュエロス王は、ついに王冠をエステルの頭に置き、ワシュティの代わりにエステルを王妃としたのです。  モルデカイの言葉は、その答えを暗示しています。

エステル記4:13~14  「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」  

 私が17歳の時に、ユダヤ人伝道の召命を明確にしたのは、この御言葉です。

「すべてのユダヤ人から離れて遠い日本にいるから関係ないと考えてはならない。もし、私がこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかし私も、私の国、日本も滅びよう。私がこの日本に生まれたのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」と、思いました。  

 ユダヤ人も異邦人も救われるには、イエス様を通してでしか救われません。ユダヤ人を救うには、福音を伝えることが大切です。ですので、私は、日本の祝福のためにも、ユダヤ人に福音を伝えようと決心したのです。

 創世記12:1~3にアブラハム契約があります。3節には「あなたを祝福する者をわたしは、祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」とあります。このあなたというのは、アブラハムであり、イスラエルの民のことです。ですので、イスラエルを祝福さる者は祝福されるのです。

 しかし、神の民であるイスラエル民族、ユダヤ民族は、試練と迫害の連続ですので、ホロコーストなど何度も民族ごと抹殺や虐殺されるという試練に遭ってきました。エステル記は、一番最初にユダヤ民族が抹殺されそうになるのを救われたお話です。つまり、一番最初のホロコースト、ユダヤ人大虐殺が起こりそうになったのをまぬがれたお話なのです。    

 私もエステルのように命をかけてユダヤ人を救おうと思いました。ユダヤ人を救うためには、イエス様を信じなくては救われません。ですので、一人でも多くのユダヤ人が救われて神様のみもとに立ち返るように福音を伝える決心をしました。  

 エステルは、自分がユダヤ人であることを明かし、快適な地位を捨てて、命を危険にさらしてまで、ユダヤ民族のためにとりなしをするように求められました。エステルの苦悶は、運命のいたずらのように見えます。それにも関わらず、エステルは勇気を持って、この困難な状況を受け入れました。ペルシャが地上において最強の帝国であったまさにその時、無名のユダヤ人の少女がその女王の座を得るなど、偶然の出来事ではありません。  エステルはすべての人に自分がユダヤ人であることを隠していたことも、神様は用いられました。そして、自分がユダヤ人であることを明らかにした時に、ユダヤ民族全体の救いをもたらし、破滅から救ったのです。全てをご存知の神は、偉大な目的を成し遂げるために、これらの境遇を定められるのかもしれません。たとえ、私たちには、神様の御手の働きが見えないかもしれませんが、神様に従うべきです。

☆過越の祭とプリムの深い関係  

 十字架、復活とプリムの祭には、さらに深い関係があります。エステルが断食したのは何日間ですか?そうです。3日間です。3日間といえば、イエス様が十字架にかかられてよみにくだり、3日目によみがえってくださったことを思わせます。これは、そのひな型です。  そして、エステルの断食が始ったのはいつだったでしょうか。エステル記3:12に、「第一の月の十三日に」とありますので、この日にユダヤ人を抹殺する命令が出されました。つまりエステルの断食はこの日の夕方からです。現在でも、ユダヤ人たちは「エステルの断食の日」といって、3日間断食して祈ります。では、ユダヤ人にとって一日の始まりは、いつから始まりますか?そうです。夕方の日没から始まります。  創世記1章の天地創造を見ても「夕があり、朝があった」とあります。ですので、今でもユダヤ人の一日は夕方から始まります。エステルが断食を始めたのは、第一の月、ユダヤ暦ではニサンの月です。つまりニサンの月の14日といえば、過越しの祭りの最初の日です。  レビ記23:5「第一月の十四日には、夕暮れに過越のいけにえを主にささげる。」  過越しは、神様がユダヤ人をエジプトから救われた日でした。その同じ日に神様はハマンの悪巧みをあばくことによって、またもや神の民を救われたのでした。そして、同じく過越しの日に神様は世界を救われたのです。  どうやってですか?もうおわかりですね。  イエス様が十字架にかかられたのは、過越しの日です。イエス様の十字架を通して全世界を救われたのです。この3つの大きな救いがちょうど同じ過越しの日に行われたということは、決して偶然ではないのです。

☆モルデカイの正しい行ない    

 さて、ユダヤ人たちと一緒に3日間の断食をしたエステルが王様の前に出ていくと、王様は金のしゃくを伸ばして、エステルは命を救われました。

 そして、ユダヤ人が救われるために、さらに大きな意味を持っていたのは、王様が眠れなかったために読んだ年代記だったのです。エステル記6:1~2。この時に、王様が不眠症だったのは、決して偶然ではないことがもうおわかりだと思います。ハマンがモルデカイを殺そうと計画していたその日の前夜に、ペルシャの王は年代記を持ってくるように命じ、それを読ませました。そして、ある家臣たちが王を暗殺しようと陰謀をめぐらせていたことをモルデカイが発見し、王の命を救ったことが記されている箇所が読み上げられました。これも偶然ではありません。

 エステル記2:21~23。モルデカイが王を殺す陰謀について気付いた時、なぜそれを報告したのでしょうか。しなくても良かった筈ですが、モルデカイは名誉ある行いをしました。モルデカイは陰謀を暴き、王の命を救いました。しかし、この時にはこの良い行ないの報いは受けませんでした。  王はハマンがモルデカイを殺そうと計画し、柱を立てたまさにその前夜、モルデカイの勇気ある記録を読みました。この夜、王はモルデカイを英雄のように、主都シュシャンの町の広場に導き、栄誉を与えることになったのです。これが偶然の一致と言えるでしょうか。いいえそうではありません。最初は、モルデカイの良い行ないが報われないように見えていたのですが、実は彼の行動はユダヤの民を救う神のご計画の一部だったのです。

 モルデカイのように、私たちは全ての境遇の中で正しいことを選択しなければなりません。隣人の危険に対する無関心を正当化してはいけないのです。ヒトラーがナチス・ドイツを率いてホロコーストユダヤ人大虐殺という、まさに恐ろしい犯罪行為を可能にしたのもこの無関心からでした。

「すべての境遇の中で、正しいことを選択する」これが、エステル記の私たちに教えている大切なメッセージなのです。

☆困難に直面した時に  

 困難な状況に直面した時、これらの人生の試練や苦難が神様の支配下の中にないと思ってはいけません。神様はご臨在されています。たとえ私たちが表面的には神様の御手の働きを見ることが出来なかったとしても、神様の摂理とご支配を認識することが出来ます。私たちは絶えず、神様がすべての主であられ、天国と地上でのすべての権限をもたれていることを知っています。そして、私たちの人生において神様の完全な意志が成就されることを信じることが出来るのです。  時には、私たちの人生は巨大なジグソーパズルに例えることができるでしょう。パズルがなかなか組み立てられず、全体がどうなるのか分からない時もあります。私たちはしばしば、自分自身の考えで描いた種類の絵とは馴染まないピースがあると、つい、捨ててしまいたくなりますが、しかしそのピースこそが私たちの人生を完成させる大切なピースです。そのピースをはめた時、パズルの全てのピースが見事に組み上がるのです。  エステル記を見る時、唯一の神への信仰を隠して異邦人であるペルシャの王と結婚したユダヤ人女性エステルを用いて、神様はイスラエル民族に救いをもたらしたのです。  また、不眠症という事例を用いてユダヤ人モルデカイを救い、神様の敵ハマンを打ち砕かれました。

☆神様を信じる

 起きた事柄を偶然の一致と考えるのではなく、むしろ、私たちの救済としての神様を知ることによって、また、神様と御言葉とを信頼することによって、私たちは神様のご計画を認識することができるのです。たとえ私たちが困難に直面したとしても、神様に信頼し従う勇気があれば、どんな境遇であろうとも、神様の主権と、統治権と、ご支配と「全てのことを働かせて益としてくださる。」神様の良きご計画と目的が、私たちに明らかになり、目に見えない神様の働きもイエス様を通して明らかになるのです。

 メギラー、エステル記の主人公は、エステルでも、モルデカイでもなく、目には見えないけれど生きて働いておられる神様です。神様は、不可能と思える状況の中でユダヤ民族を救うために、エステルやモルデカイを使われて、その背後で働かれていたのです。

 時代や歴史の至るところで、ハマンやヘロデやヒットラーのような人物、凶悪で残酷非情な人物が現われて、ユダヤ民族の滅亡を抱いているのです。これからも、反キリストが現れると聖書には預言されています。しかし、王の王、主の主である神様は、いつも生きて働かれ、ユダヤ民族を滅ぼしたり、ご計画が妨げられることをお許しにはならないでしょう。 私たちが、いまの時代に生かされているのは、決して偶然ではありません。エステルやモルデカイのように、神様により頼み、従うものとして歩んでいきましょう。  

☆神様の祝福が豊かにありますように ❤

エターナル・ラブ・イスラエル

永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。(旧約聖書 エレミヤ書31章3~4節) 代表 宮本 純子

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